名取裕子、実家は座間の大家族だった!継母エピソードが壮絶でやばい?

名取 裕子(なとり ゆうこ)さんは1957年8月18日、神奈川県横須賀市の海が一望できる高台の家で生まれました。小学校2年から神奈川県座間市で生育されています。身長166㎝、血液型はAB型との情報です。世代的にはかなり大柄な方と思います。情報では独身です。意外でした。

兄のステレオ愛からデビューへ

名取裕子さんは高校時代、学内にファンクラブがあるほどその美貌は際立っていたそうです。青山学院文学部日本文学科1年生のときに、カネボウ社の「ミスサラダガールコンテスト」で準優勝を果たします(1975頃)。この時のグランプリが古手川祐子さんだったそうです。

出典:https://getmoneyfp.net/natori-yuko

実は最終選考に水着審査があったため、名取裕子さんは辞退を予定していたのですが、お兄様の「一家の恥は家の宝だ!参加賞のステレオをゲットしてくれ!」との懇願に敗けて出場しました。それが女優・名取裕子を生むきっかけとなったのですから、人生とはわからないものですね。

13人の大家族

生家は大家族で、なんとMAX13人だったと言われています。どんだけ大豪邸だったんでしょうね。サザエさんだってタマ入れて8名です。名取裕子さん生家の内訳は、4人家族プラス祖父や祖母、叔父や叔母などでした。

名取裕子さんには2歳年上のお兄様が1人おり、「名取勉」さんというそうです。兄妹とても仲良く、お兄様の友達と一緒に幼少期はビー玉、ゴム鉄砲、虫取りなどをして活発に外で遊んでいました。

名取裕子さんの父上は、大正12年生まれの「名取勲」さんといいまして、汽車の車両製造の会社の勤め人だったそうです。

名取裕子さんの母上は東京都町田市出身で大正15年生まれの「名取只子」さんで、当時としてはかなりの高学歴となる「高等女学校」を卒業されています。そんなお母様でしたが残念ながら名取裕子さんが14歳の時(1971年)に47歳で直腸がんで亡くなられます。

継母は毒親

名取裕子さんのお母様が亡くなられたわずか一年後に、後妻となった継母(当時48歳)がとんでもない毒親だったそうです。名取裕子さんが「修学旅行にいく費用が必要です」と伝えると激昂して通帳を投げつけられたそうです。ほかにも実のお母様の写真を捨てさせられたり、形見の着物を勝手に捨てられたり。

ちなみにかなり料理が不得手で、具無しつゆなしうどんや、沢庵のめんつゆ煮込みなど、奇抜な料理が提供されました。

継母とのツーショット

この継母との不仲から、名取裕子さんは生家を出て自立の道をめざすようになっていきます。ところが実際に名取裕子さんが家を出ると自活の大変さに気づき、継母の愛情とありがたみに気づいたそうです。それから継母さんは、名取裕子さんのデビュー後の仕事打合せに同席などもしています。

出典:https://kaigo-postseven.com/6496/2

名取裕子さんのお母様が亡くなられた25年後の1996年に、名取裕子さんのお父様が73歳で亡くなられました。名取裕子さんが38歳の時でした。亡くなる少し前お父様は、「(2回目の)結婚は失敗だったなあ」と呟かれていたそうです。

継母を20年介護

ところがなんと夫の死をきっかけとして、継母さんがアルツハイマー認知症を発症します。名取裕子さんはその後、不仲であった継母さんの面倒を20年も見続け、2015年3月に90歳で看取っています。老人ホームには「毎日」通い、女優業との両立ストレスから名取裕子さん自身が自律神経失調症で倒れることもあったそうです。もしかして名取裕子さんが独身を貫いたのは、継母さんの世話があったためかもしれませんね。

まとめ

1980年~2010年代頃まで、名取裕子さんは2時間ドラマの女王でした。「法医学教室の事件ファイル」や「京都地検の女」などの代表作があります。

2時間ドラマから舞台・CMへ

昨今2時間ドラマのシェアが減ってきていますが、実力派の名取裕子さんは舞台やCMなどでも大活躍を見せています。裏表のないさっぱりした性格で、共演者だけでなく現場スタッフからも強い支持を受けているそうです。

また、お世話になった方々に礼を尽くす意味で、毎年正月に着物を新調してその年の年賀状に近影を添えるそうです。素敵ですね。

魚道(メダカ300匹を育成、趣味は釣り)

自宅では愛犬と300匹のメダカの面倒をみているそうですよ。これからも名取裕子さんに注目していきます!

 

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